キャンヒロユキブログ

沖縄で活動するフリーの放送作家・キャンヒロユキのブログ。
お笑い関係から番組企画・構成・舞台脚本まで、何でも書きまっす。。。

 
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投稿者:kane
遅いコメントで申し訳ないですが、がんばってる人たちへ、一言だけ。
笑って生きましょう。
投稿者:キャン
>りょうけんさん

そうですね。

楽しく生きましょう。

毎日がチンドン人生。素敵。

出会いに感謝です。
投稿者:キャン
>かたつむりさん


生きるのは、「権利」だよ。

なんでも「義務」にしたら結構タイヘンです。


難しく考えなくてもいいものだ。

必ず生への衝動が、無意識下の中には巣を作っています。


楽しく、ムリしないで、生きる事はサイコーなんです。


追伸。


ココロがつらい時は、大豆製品・はちみつ・卵白がいいらしいですよ。
投稿者:親愛なる隣人りょうけん
それでも僕らは生きていくしかないんですよね
投稿者:カタツムリ
ヒトが、逝ってしまう

それらのできごとを
ぼーっと流していた自分に変化が現れたのは次のことだった。
そのときの感情は「後悔」
相手は母方の叔父

自分の夢は叔父の夢でもあったらしい。
いつまでも中途半端だった自分が夢を掴みかけた時はもう30歳が目前だった
その夢をつかむ勝負の朝、叔父宅に寄り仏壇に手を合わせた
そのときの彼の言葉
「大丈夫よぉ^o^

戦争で聴力を失い補聴器の調整をしながらよく話をしていたヒトだ

自分が夢をつかみ
余裕をつかんだら
共に戦跡を巡り、彼が経験したコトを聞きながら、彼が毎年続けていた遺骨収集についていこうと密かに計画。

ある日、叔母づたいに聞いた。
血のコブの周りをガン細胞がまとわりつき
手の施しようはない…
破裂したら…

叔父が父親代わりで育てた母は、在職中。自身を奮い立たせていた
自分はもうすぐ掴みかけている、夢を共に喜びたくて一日でも長くと、
漠然と感じていた。

その日がきた
母が取り乱し自分が彼女を抱え、代わりを務めねばと台所を取り仕切った

相変わらず取り乱した母二度とみたくない

一息着くため実家へ戻ると入っていた。
夢が叶った、その便り。
遺体を前に便りを広げ
後悔という成分だけの涙が溢れた

それから2年後
叔父の長男が、焼身という形で逝った

日が変わり自分の誕生日を迎えた5分後の知らせ
叔父の一周忌に自分はココロの病というものの診断を下されていた
自分は壊れ喚き暴れた。誕生日を祝ってくれると部屋にいた友に羽交い締め、押さえつけられた。のどもカレ泣き疲れた…

おそらくトラウマの一種となっているのかもしれない

それからも毎年ひとりずつ旅立って逝く。自分がそれなりの年齢になったのだろうか。
だからこそ
生きる必然と苦しさを抱えながら今日も終わろうとしている…のだろうか
皮肉かもしれないが、大切なヒトが逝くたびに家族、友が…筆舌に尽くしがたいほどの…自分のココロの拠り所であることを再確認している

自分にとって生きることは義務かもしれない
夢をつかんだことを
捨てることはない
あのヒトのためにも。

先週逝ってしまったな。うちらはそれを胸に生きるのだろ、ね、キャン。時折頭をよぎる「死への衝動」
しかし、生きるぞパー
投稿者:キャン
>いまお

そうだったのか。知らなかったです。

カキコミを読んで、ちょっと涙が出たよ。

8年前はまだ東京にいるときだったから、連絡が回ってこなかったのかも知れない。

そんなことより、

オレたちって、「照れくさい」とか「タイミングが」っていう理由で

「ありがとう」を言わないよな。

もっと「ありがとう」をたくさん口にしていいかもしれない。

今回ラジオでちらっと妹の事を口にしたら、オカンから

「話題にしてありがとう」

とメールが来ていた。

こちらこそ「ありがとう」なんだよな。

大学時代、君とベンチでタバコをくゆらせながらバカな話をした瞬間は、

かけがえのない時間だった。

今度ご飯行こうよ。


いまお、ありがとう。

投稿者:カタツムリ
ヒトは
投稿者:いまお
8年前、母が突然クモ膜下出血で倒れて
そのまま帰らぬ人になってから
身内の突然の死について、ようやく考えが
まとまってきた。多分、今後もどんどん
変わっていくんだろうけど。

死から2年くらいは
あの時に、ああすれば防げたのではないのか。
と悔やんだ。

もっと、ありがとうって言えば良かった。
と悔やんだ。

それとも、何か意味があるのか。
意味づけをする必要があるのか。
どう解釈すればよいのか。
今頃、本人はどう思っているのか。
自分はどうすればいいのか。
と、堂々巡り。

しかし、8年経った今では、
母が素晴らしい人だったということを、
自分なりに証明したい。
と、思うようになった。

今でも、一日たりとも
母の事を考えない日は無い。
ただ、ただ、本当に良い思い出ばかりだ。

実は、この想いは誰にも言った事がなく
ここが、初めて。
キャンありがとう。



投稿者:キャン
>beedamaさん

いつもありがとうございます。

この前告別式の後、同級生らとお悔やみの飲み会を開いたんですが、その時にある女子が

「キャンはMの兄貴って感じだったよね」

とふとつぶやきました。

思いもかけない言葉だったんですが、確かにMにタバコを教えたり酒を教えたり、たまり場の公園に連れてきて一服したあとは近くの小学校に忍び込んでバスケットを教えてあげたり、そういった意味では悪友だったんでしょう。

ボクも思いだすのは、ほとんどが楽しい思い出です。手作りのアメフトボールを作って、自習中の教室の生徒の頭の上からボールなげたり、子供みたいなことしてました。

楽しい思い出が残されていることに、感謝です。
投稿者:キャン
>itoakさん

いつもお世話になっています。

同い年みたいですね。もしくはボクが一つ年上なのか。

確かに年齢を重ねる事で、悲しい場面に出会う事が多くなりました。この年齢を基準にすると、3。40ほど上にあたる年齢層にいる先生や恩師などが病気にかかったり、亡くなったりする時期なのかもしれません。

だからこそ、今回の友人の死をきっかけに、お世話になった人たちに出会う行脚を実行したいと思います。

おカラダ、ご自愛ください。

それに気づかせてくれたアナタの書き込みに感謝。
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